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2007.04.17
あきない総研創業10周年記念講演
野口さんには昨年の独断と偏見のweb20の続編としてSAASの本質について話してもらいました。毎回ですがメッチャ勉強になります。島谷さんにはセカンドライフの歩き方、今話題の仮想空間の今とこれからについて講演いただきました。
終って懇親会です。みなさん、ありがとうございました。
2007.04.17
30年ぶりの都をどり
今日はあきない総研の創業10周年記念講演会です。場所は春の京都。春の京都と言えば都をどりです。(^_^)
講師の野口さんと島谷さん、仙台から来てくれた玉野井さん、福岡から来てくれた伊原さんをご招待しました。
花見小路で、伊原さんと島谷さん
祇園甲部歌舞練場
中庭で
踊りの前のお茶席です。池田家さんにお願いしたので、一番前に座れました。
都をどりです。
2007.04.15
久しぶりの休日&いいお天気
大阪でお休みでした。AMは自宅でゴロゴロ。昼からジムに行って、バイクで走りました。堺にちく満(ちくま)っていうお蕎麦屋さんがあります。あつもりです。ザル蕎麦の温かいのです。少し濃いだしに卵をといていただきます。
ちく満は堺の宿院にあって、創業は元禄八年らしいです。入ると90ぐらいに見えるおじいさんが両手を杖の上において、姿勢よく坐ってはります。「いらっしゃ、お1人?」と聞いてきます。僕が指を1本たてると「お1人さん、いらっしゃいませ」と座敷に声をかけます。門番みたいな存在です。(笑)でも、ガラス戸なんでおじいさんが声をかけなくても座敷からはお客さんが見えてます。僕にはボケ防止に座ってはるとしか思えないです。実はそれが社長です。(笑)
予約なし、メニューは単品、注文は量を聞くだけです。ザルなんですが、一枚二枚ではなくて一斤二斤で注文します。一斤800円。二斤では1000円です。良心的。やわらかい麺なんで東京の人はびっくりするかも
サラリーマン時代、営業で南大阪を担当してたので、堺、泉北、泉佐野、松原、河内長野・・・この界隈は詳しいです。特に堺には大きな得意先があって、ちく満に行くときもいつもその前を通るので、当時のことを思い出します。「家具の三英」さんって言います。もう、亡くなられたのですが、その三英さんの鳴神専務には鍛えられました。いろんなことを教えてもらいました。とても厳しい方でしたが、かわいがってもいただきました。三英さんは次の世代に引き継がれてがんばっておられたんですが、今日前を通ると閉まっています。バイクを止めて、張り紙を見ると弁護名の破産宣告の張り紙でした。日付をみると昨年の12月に破産してはりました。(泣)あ~、時代は移り変わるんだ~。何回か寄ろうと思ったんですが・・・。これからは寄ろうと思ったら、すぐに行動しよう。
2007.04.12
今日はアポが8つありました
朝から横浜ベンチャーポートでスタッフとのミーティング。終って、横浜市、横浜企業経営支援財団、他との連携会議、終って、金融課さんと打合せ、終って都内にもどって、optさんへ。30分のミーティングで汐留めのオフィスに移動。汐留めでご相談のベンチャーさんのお話を聞いて、神田の福祉ベンチャーパートナーズさんへ、ミーティング終って汐留めに。夜は僕のプロジェクトのミーティングが二つ。朝8時半からスタートして終ったのは夜9時半です。
それから食事、新橋の中華料理屋さん、一番左が「スミマセン」の平岡氏、真ん中がわれらがヒーロー、memorisのYU社長、左が久田くん、システムの天才です。
写ってないけど、こっち側が、吉田、いのっち、大津、あきない総研グループでした。
おつかれさま~、かんぱ~~い。
2007.04.10
北海道にも春が来ていました。
朝の飛行機で伊丹から千歳へ。4月10日春の札幌です。
今日は仕事の前泊で夜に飲み会しかないのですが、伊丹からのANAが朝しかないので、昼にはここ札幌に着きました。ホテルのフロントに教えてもらった金平寿司さんで、お昼ご飯。いくら、うに、とろ、やりいか、サーモン、えんがわ・・・一貫づつですよ。(笑)
食事が終ってイノダへ。大丸の横に本の紀伊国屋さんがあってその2階になぜか?なぜか?イノダがあります。あのキャッチフレーズ“京都の朝はイノダで始まる”のイノダです。なんで札幌にあるのかは知らないですが、少し前に見つけていました。
「おいめの、べつ」注文してみましたが、ウェイトレスさんには通じませんでした。(笑)やっぱり、ここは札幌です。
僕は高校時代、イノダでバイトをしていました。バイト先は四条店です。洗い場から水場、喫茶に回って、最後にホールに出ました。その頃の先輩の松本さんが今では三条本店の店長です。
イノダのコーヒーはミルクも砂糖も最初から入ってきます。創業者の思いというか、これが一番おいしいと決めているのです。(笑)なので、常連さんはいろいろ注文を付けます。「ミルクを多い目にしてくれますか?」「お砂糖を別にして下さい」「ブラックでお願いします」この注文をウェーターが厨房に通します。「おいめ1コ」「すくなめ、べつ1コ、ブラック1コ、レモンティ1コ」この注文の仕方を聞いて、常連さんは「おいめ、ちょうだい」とか「べつで・・・」とか注文されます。京都らしいと言えば京都らしいのですが、注文の仕方で「通」か「一見」かがわかるんです。
2007.04.06
久しぶりの大阪です
今日の朝、東京から移動してきました。久々の大阪です。局の地域経済部長、松村さんにご挨拶に行きました。松村さんとは2005年、広島の局の時代からのお付き合いです。
その後、トレンドラインの吉田くんとミーティング、SOHO技研、畑さんとミーティング、小口さんとミーティング、イータワー中田くんとミーティング・・・夜は堀くんとご飯、その後、田中さんやら、長尾くんと合流。そして一日が終りました。(笑)
2007.04.02
横浜ベンチャーポート
今、横浜の関内にいます。MBCビルの6階です。
この4月からあきない総合研究所が横浜市の創業・ベンチャー支援をプロデュースします。サービスの名前は”横浜ベンチャーポート”ここ横浜がアジア・パシフィックのベンチャービジネスの母港となるように命名しました。
自治体の支援センターをプロデュースするのは大阪市のあきないえーど以来です。あきえど→ドリゲ→そして、横浜ベンチャーポート 略称は?ヨコベン?ハマベン?ハマポー?何がいいですかね。(^_^)
今までのノウハウを活かしつつ、新しいサービス、プロジェクト、イベント、セミナー、横浜モデルを作りたいです。(作るのはスタッフですが。。。。)
横浜のみなさん、よろしく、お願いします。
横浜開港記念会館!ここ気に入りました。ここでオープニングイベントします。きっと7月の第1週です。ご期待下さい。
2007.04.01
汐留JRAです。
早く言えば場外馬券場です。でも、昔のように、新聞紙が床一面に散らばって、タバコとお酒の匂いがプンプンして、スエットスーツがユニフォームになってたんとはずいぶん違います。喫煙のコーナーはありますが、ほとんどが禁煙です。新聞紙も落ちてないし、きれいです。
汐留のこのオフィスに引っ越して1年が経ちますが、初めてはいりました。この汐留のJRAは5階建てで、1階は受付スペース、2階からそれぞれ、100円券、500円券の売場になっています。一番上は席が1000円で予約できるスペースらしく、この日は満席とのことでした。
僕がこの前に?馬券場に行ったのは?淀の京都競馬場?確か?高校生でした。(笑)
2007.03.31
DGを卒業します。みなさん ありがとうございました。
2007年3月末をもってドリームゲートを卒業します。2003年の4月にメルマガの申し込みページ1枚だけのプレサイトがアップして早、4年が経ちました。パワポの説明資料を持ってあちこち歩きましたが、どこへ行っても「ドリームゲート?って何?」「あ、そうなの」まったくの馬の骨から会員数40万人のここまでよくきたものです。ひとえにこのプロジェクトを支えてくれたベンチャーエンタープライズセンターのみなさん、経産省のみなさん、そして、スタッフみんなのチカラと40万人のお客様のチカラです。
後進に道を譲って吉田はこの辺で失礼しますね。
本当にこの4年間、ありがとうございました。
2007.03.24
丹下紘希氏×塩屋俊氏 講演会
帝塚山大学のイベントはアーティストとのパネルでした。まったく違う業界の方とディスカッションするのは初めてです。それに両氏ともに映像の世界では第一人者です。ちょっと緊張の吉田でしたが、なんとかうまくいきました。
これから始まることをみんなに説明しています。こっち向いてるのが丹下さん、背中は塩屋さん
丹下絋希さんは監督というのか?プロヂューサー?アーティスト?なんて呼んで良いのかわからいませんが、ミスチル、浜崎あゆみ、MISIA、桑田佳祐、中島美嘉、元ちとせなどのミュージックビデオを手掛ける映像作家です。岐阜県出身の39歳、男としても、仕事人としても旬やと思います。すごい感性の持ち主で話の端々にその感性っていうか感受性っていうか彼のオリジナルの表現が見えました。
もうお一人の塩屋俊監督は大分県出身。 僕が専門化の進化論でよく使う、俳優から監督へ、そして、プロデューサー、そして人材育成の為のスクールを運営しておられます。主な出演作にはNHK連続テレビ小説「おしん」、 映画「アンボンで何が裁かれたか」・「ミスター・ベースボール」・「釣りバカ日誌9 ・ 10」など。監督最新作に「0(ゼロ)からの風」、「きみに届く声」がこれから、公開されます。他には「BEAT KIDS」等があります。監督は51歳で僕と同世代、映画の話題で話がはずみました。僕は中学生のころ映画少年で年に150本以上見てました。「スクリーン」という映画雑誌があってハリウッドに憧れたもんです。その頃は中学生が遊べる場所って他になかったんです。
こんな感じでみんなと喋ってました。学校の休み時間にだべってる感じです。
トークショーは教室の真ん中を使って全員参加の楽しいディスカッションになりました。みんなからもバンバン意見や質問がでて、めっちゃ盛り上がりました。楽しかったです。
学生の実行委員会のみなさん、学長はじめ先生、職員のみなさん、塩屋さん、丹下さん、そして、オーディエンスのみんな、ありがとうございました。